次米みのり祭ってどんなお祭り?"

歴史に残る恵那の次米

天皇が天神地祇にその年の収穫を感謝する新嘗祭(にいなめさい)にささげる米のことを次米といいます。この神事は宮中行事のなかでも重要な儀式をされていました。
677(天武6)年、恵那産の米が次米として明日香の朝廷に献納されたことが、当時の荷札木簡に記されていました。

正家廃寺跡

恵那市長島町正家にある奈良時代の寺院遺跡(国指定史跡)。この寺院は、法隆寺(奈良)と同様の伽藍配置を持っています。
なかでも、金堂の構造は他に例の無い様式で、あえて類例を求めるならば法隆寺の玉虫厨子と似た構造とされています。さらに、当時、大変貴重であった三彩の壺、二彩の浄瓶も出土し、朝廷との強いつながりが伺え、全国的にも注目されている寺院跡です。
また、付近に東山道が通っていることから恵那地方は、当時、中央政府の東国経営の拠点であったと考えられています。

「恵奈の次米は天武期の初期大嘗祭に使われた!?」

明日香村文化財課課長 相原嘉之さん講演会で語る

 3月17日(土)恵那文化センターで、明日香村の天武陵前での法要に、次米を奉納し、飛鳥の史跡を見学するなど、交流を続けてきた縁で、飛鳥池工房遺跡での次米木簡について話を聞こうと歴史講演会が開催されました。  相原課長さんは「木簡が発掘された飛鳥池工房遺跡に隣接する酒船石遺跡一帯が初期の大嘗祭の会場ではないか」と提起され、「周囲の石垣、亀形石、酒船石などの祭祀遺構、掘立柱建築、左右対称の地形などがそれを示している」。  また、「飛鳥池工房遺跡は、最古の鋳造貨幣「富本銭」の製作、金・銀・銅・鉄・ガラス・漆製品や、瓦の製作など当時先進の技術の場で知識、技術、権威を示す場所でもある。そこでの次米木簡の発見は、酒船石遺跡での初期の大嘗祭を裏付けるものである」。  「天武期の大嘗祭は毎年行われ、律令制の確立後は即位の時にだけ行われた、来年の即位時の大嘗祭は、その中身は秘儀とされているが、どのような祭祀なのでしょうか」と話されました。

酒船石(流水による祭祀物)

亀形石(聖なる水の祭祀場)

石垣(会場周囲を巡る)

亀形石 水を満たす亀